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日馬富士の無念さがにじむ引退会見。指導と暴力の明確な線引きが必要だ



■「なぜ俺だけが?」という思いが日馬富士にはあるのではないか?




日馬富士の引退会見が昨日行われた。

日馬富士と師匠の伊勢ヶ濱親方が、会見に臨んだわけだが
2人からは無念という思いが滲み出ていたように思える。

伊勢ヶ濱親方の

「なぜこんなことになったのか?」

という発言は

自分が指導していた日馬富士がなぜこのような騒動を起こしてしまったか
理解できないという気持ちを表しているのだろう。

そして、もう一つ
指導のいき過ぎによって生じたいざこざが、
なぜ引退というあまりにも重い決定に至らなくては
ならなかったのかという疑問もあるように感じられた。


日馬富士も、今回の事件の動機は
あくまで貴ノ岩への指導であると話している事を考えると、
騒動の発端となっていることの責任を取るという自覚はあるものの

「なぜ自分だけが?」

という割り切れない気持ちを抱えているように感じた。


ただ、相手を入院させてしまうほどの暴行は
やはり一般感情として指導を超えた暴力と映ってしまう。

日馬富士の暴行事件を機に、暴力との決別を図らなければならない相撲界だが
日馬富士の引退会見を見て、それは一筋縄でいくことではないと感じられた。


■体罰的指導で育った今の指導者達に指導法を変えさせるのは難しい。


以前、こんな動画を見た。

公開稽古総見で、白鵬が逸ノ城に胸を出してのぶつかり稽古の様子が映っているのだが、
その中で、白鵬は転がった逸ノ城の腹を蹴って立ち上がる事を促していた。

客がいる前での振る舞いという事を考えると、
相撲界では、この程度はかわいがりというほどもない、
自然な事なのだろう。

過去に起きた暴行死事件を経てもなお、
日常的な体罰があるということなのだ。

ただ、白鵬が逸ノ城を蹴っている場面について、
白鵬を咎める意見があるものの、

「逸ノ城、やる気出せ!」

といった白鵬の体罰的指導を容認するコメントも少なくなかった。


つまり、横綱という高みを目指すのであれば
困難を乗り越えなければならず、
白鵬の指導もその後押しに過ぎないというのだ。

確かに、自分の限界をさらに越えるために
力士を発奮させようと、体罰を行うのは、
一つの指導方法だということも理解ができる。

それがまさに相撲のかわいがりという文化で、
指導を行っている親方達が
まさに現役時代に受けていた指導方法なのだろう。

しかし、
日馬富士が起こした
暴行を伴ういき過ぎた指導は
まさにこのようなかわいがり文化の容認が根本ある。


暴力からの決別を謳うのならば、
指導する側が、
体罰容認という指導方法を変える必要があるのだが、
今まで行われてきた方法を変えさせるのは相当難しい事だろう。


■体罰を受けずに育った横綱が誕生することが求められる


もし、頭ごなしに
一切の体罰を指導中に行わないようにと
相撲協会が通達したとしても、
おそらく体罰を行ってきた親方は

「厳しい指導なしで強い力士は育たない」

と語り、素直に従うことができないだろう。

未だかつて、体罰的指導無しで
横綱に上がった力士は存在しないのだから。


となると、
暴力と決別するために必要なのは、
体罰を経験せずに誕生する横綱だろう。

体罰的指導がなくとも、
横綱を作れるいう実績が相撲界を変えるのだ。


本当に、そのような横綱を誕生させるのであれば、
現場の指導者には、体罰的指導を行わない指導力の向上と多大な忍耐力必要になる。

親方衆だけでなく、今までと違う指導に力士達も戸惑う事だろう。


しかし、今変わらなければ
再び日馬富士のような不幸な引退を余儀なくされる力士が
生まれる事になる。

それだけは絶対に避けなくてはならない。


日馬富士の引退を無駄にしないためにも、
大相撲は変革を遂げて、前に進まなければならない。

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